嫌いを克服|心の未病と老化と前頭葉の関係性(認知症講座より)|鬱の人もようこそ



クレマチス。ですか?

:蕎麦屋、まめひなの駐車場にて。


名前を覚え、呼ぶこと。これって、全て『信頼』や『愛』の始まりではないかと思う。最近、愛などを多用している私だが、何かそういう『温かいもの』もののわかりやすい代名詞だと思ってくれれば良い。


うちの一番小さい人は、『花』が嫌いらしい。『虫』も嫌い。花は匂いと萼が嫌い。虫は形状がそもそも嫌い。笑。

それは私もわかる。虫の形状は生命力がありすぎるし、花の萼もそう言えば生命力がありすぎる。宇宙のようでもあるし、人の性器のようなイメージも湧く。

そうそうそう。私はよく驚くのだけど、自分の性器の様子を見たことがないという女性が多い事に驚く。私は、見てよく観察することを強くオススメする。そうしたら、きっと虫も花の萼も、どうってことなくなる。笑。

と、うちの小さい人に勧めてみた。けど絶対見ないだろうな。笑。見たほうがいいのに。試しに見て見てよ。驚くよ。

『花』も『虫』も、名前ではない。それらには個々に名前があって、個々に特徴があって、みんなみんな違う。見たくないものやなんか嫌いなものには、多分名前がない。名称しかない。でしょう?

その違いをただ楽しめるようになったら、絶対世界は発見に満ち溢れる。


・・・


いつも摘んでくる花が『勿忘草』だと知った。正確には『エゾムラサキ』ムラサキ科ワスレナグサ属。

『勿忘草』ってなんてかわいい名前なのよ!英語名は『フォーゲット・ミー・ノット』らしい。なんてかわいい名前なのよ!と突然思い立って、おばあちゃんに手紙を書いた。ただの野に咲く花が、『勿忘草』に変わった発見が、おばあちゃんに手紙を書くという行動を運んできてくれた。

ちなみにうちの小さい人は『勿忘草』は気持ち悪くなくかわいいらしい。なるほどな。だって萼見なくて済むもんね。性器見なくて済むもんね。笑。


私は、人の顔はかなり覚えるほうなんだけど(多分視覚が私的に重要な感覚だから)人の名前がとにかく覚えられない。

『〇〇さんおはようございます』

これだけで、ものすごく打ち解けるのに。

子供に名前をつける。ペットに名前をつける。名前はその人という大きな『種類』から、ぐっとその人という『存在』にフォーカスさせてくれる。名前を呼ばれるとその人の『意識』も変わる。『責任』や『存在』が一気に自分に戻ってくる。自分という『意識』が芽生える。個々のつながりを『名前』がつなぐ。

肌に触れるのと同じくらいの魔法がある。だから嫌いな人がいたら、ぜひ名前を呼ぶといい。(と最近思っているよ。)『なんか嫌いな野郎』から『嫌いな○○さん』に変わるから。(嫌いは変わらないが。笑)そこからもしかしたら『好き』が始まるかもしれない。



・・・


認知症講座から得たことで考えてみよう。

参照:スタートが肝心|認知症サポーター養成講座|新月


結論から言うと。

1、私にできることは・・・
●何事もその時、より正しいと思える決断に近づくために、知識を前持って持っておくこと。
●認知症の人としてではなく『その人』の存在を見ること。接すること。
●プロの助けを思う存分借りること。
●『心』に働きかけること。

2、新たな発見かもしれないことは・・・
●目に見えない『心』に直結するかもしれない臓器があるとしたら、それは『前頭葉』ではないかと言うこと。


・・・

認知症は、もう、『誰でもなるもの』。

2025年には5人に1人の高齢者は認知症になると予測され、予備軍は4人に1人だそう。ちなみに、手紙を書いた宛てのおばあちゃんは認知症。うちのおばあちゃんは本当に健康にもかかわらず、予備軍(と私は見ている)。

ちなみに認知症は:脳や体の疾患を原因として、一度身につけた記憶や判断力が低下し、今まで通りの生活がいとめなくなる状態のこと。

認知症の要因はには主に二つ。脳の萎縮や機能の低下がもたらす症状(アルツハイマー病、脳血管障害、レビー小体病、前頭側頭変性症)精神疾患(うつ状態、妄想、不安幻覚、意欲がなくなる、暴力行為、興奮など。)。

脳の萎縮は、歳をとるに連れて誰にでも起こること。

予防としては『前頭葉』を鍛えておくこと。使い方をマスターしておくこと。

認知症になった後の場合は、その『+精神疾患』は、環境や性格、心理状態が生むものらしく、治したり防げたりする可能性があるということ。



・・・

以前書いたように、うちのおばあちゃんは認知症だ。

関連:おばあちゃんは薄皮を剥きたい | 予測不可能な私に夢中



私は、『思考』『記憶』『感情』は、どれも人間の一番の財産にはならないと考える。

『思考』『記憶』『感情』これらはどれも脳が司る分野である。そしてうつ状態や不安症、幻覚妄想など、精神疾患を生む部分。

私は、『脳』は通常、支配できると考える。飼い慣らせる。そして死滅するもの。



私は、一番の財産は『心』だと考える。

では『心』とは?

『生命力』『魂』『愛』。形のないもの。泉のようなもの。奪えないもの。自由なもの。肉体がダメになっても残るもの。人を動かすもの。命を支えるもの。炎。儚いもの。『思い』。などなどか。

私は『心』は支配できないと考える。治すものでもない。感情とも違う。思考とも違う。記憶。。。とは、別じゃないかもしれない。



私は二つ精神疾患を治療した経験がある。

私が思うに、精神疾患は『心の病気』ではない。『脳の病気』だと考える。もしくは、脳のある意味『正常』な働きが呼ぶ機能低下。あるいは、コントロール不能状態。

『脳を騙せたり』『脳の指令を拒否できたり』『感情をコントロールできる』状態が、いわゆる『普通』と言われる状態(生活が営める状態。)

それがなんらかの衝撃なり出来事なり病気なりで、『パンク』または『コントロール不能』あるいは『コントロールするパワーがなくなった』場合、精神疾患という状態になる。それが、体力を奪い、意欲を奪い、気力を奪い、安心を奪い、希望を奪う。負の感情だけを育てる。老化を促進させる。その結果、命すら奪う。

ほら『心』は関係ない。


・・・

NHKの朝イチという番組で『認知症予防』についてやっていた。

主に前頭葉を刺激するやり方の認知症予防について。前頭葉の機能低下が生む『感情の老化』『心の老化』、それが促進させる体の老化、認知症。その『感情の老化』『心の老化』=『わくわくする心をなくしてしまうこと』を防ぐというアプローチで予防法を紹介していた。

萎縮は同じでも、前頭葉の働きが活発な人は、その他の老化や進行が少ないそうだ。

思うに、体の老化は見て取れる。けど、心の老化、感情の老化は、体の不調という形でしか見れない。気づいた時には、、、と、逆に怖い気さえする。

『前頭葉』は、意欲を司る部分だ。意欲や向上心、好奇心、冒険心、感情を司る部分。逆に言うと、その『前頭葉』の働きが悪いと、精神疾患(うつ状態、妄想、不安幻覚、意欲がなくなる、暴力行為、興奮など。)を促進させることになる。


つまりキーワードは、『前頭葉』。


脳は支配できる。コントロールもできる。飼い慣らすこともできる。そして、鍛えることができる。

心は支配できない。コントロールもできない。飼い慣らすことも多分できない。でも、鍛えることも、働きかけることも、きっとできる。

意欲や向上心、好奇心、冒険心なくては、『心』は育たない。『心』がなければ、意欲や向上心、好奇心、冒険心は、どこにも響かない。意欲や向上心、好奇心、冒険心は、『生命力』『魂』『愛』を育てる。脳の機能がちぐはぐになっても、『生命力』『魂』『愛』は感じることができる(おばあちゃんを見ててそう思う)。命を燃やすのは、『生命力』『魂』『愛』、『心』なはずだ。


じゃあ、その『わくわく』を司る部分が『前頭葉』なのだから、『前頭葉』が『生命力』に働きかけるとしたら『心』や『魂』という目に見えないものを作るのではないかしら。


・・・

変化しないでいることは『心の老化』だ。保守的でいることも『心の老化』。つまり『前頭葉』の老化。

私はよく驚くのだけど、『ドキドキワクワクすることは疲れる』という大人が結構いることに驚く。(したくないなら、別に良いの。でも、ドキドキわくわくしたいのに。だ。)

私はある人に言ってみた。「それはまずいのでは」と。「今からでも遅くないから変えたほうがいいのでは」と。「もっと心の中を見たほうがいいのでは」と。

そうしたら「だってそうなんだからしょうがない」「わくわくがなくても別に生きていける」らしい。ああ、これは、前頭葉の活力低下が生んだ『心の老化』だ〜。笑。と、私は今思った!笑。そうか、違和感はこれか。私が感じる『その人』を良さを、奪っているのは、これだったかあ。(余計なお世話か。笑)

精神疾患の状態まではまだ行かないけど、明らかに疾患だ。隠れ疾患。隠れ肥満みたいな。未病みたいな。そうだ、心の未病だ。


・・・

心の老化、体の老化。そのスピードを遅められるかは、もう『努力』でしかない。未病の蓄積。それに早く『気づくか』どうかだ。

『やる気がわかない』からやる気を沸くのを待ってるのは、希望がない。『前頭葉』が活発ではないからそう思うのであって、『やる気がわかない』という脳の指令を否定し、本能的にか無理やりにか動くことから、何かが始まる。

そこが辛いのは、よ〜くわかる。死ぬほどわかる。でも、動く。

『いいこと』は何もしないで降ってこない。『全く新しい未来』はいきなり訪れない。そんなミラクルなことがなくたって、誰にでも『いいこと』も『全く新しい未来』も入ってくる。『発見』を拒否しなければ、動くだけで『発見』はいつもそこにある。『発見』が『いいこと』を運んでくる。身体が喜ぶ。心が喜ぶ。周りも喜ぶ。私は、そうだった。

『感情』は脳が司る部分。『思い』とは違う。『心』とも違う。例えば『死にたい』と今考えているとする。そのサイクルから逃げられないとする。でも、それは、あなたの『思い』ではない。『生命力』や『心』の弱さでもない。

『脳の仕業であるかもしれない。』と、『思考に支配されてるかもしれない』と、一呼吸置いてみる。脳みそを一旦ストップさせて、五感だけ使ってみる。名前を呼んでみる。自分の名前を呼んでみる。自分の中の、死んでも残りそうなものに触れてみる。

湧く『思い』があるはずだ。『心』の叫びがあるはずだ。

動くんだ。誰かに助けてもらうんだ。気づいてあげるんだ。わかってあげるんだ。抱いてやるんだ。


・・・

私は『心の老化』『感情の老化』を促進させるものの一つが『恥ずかしさ』だと考える。

日本人の国民性は「協調性が高く、恥じらいがある。思い込みが強く、周りに影響されやすい」だそうだ。笑。

『こう思われたら恥ずかしい』『こうできない自分は恥ずかしい』と思うことは、物事の本質を見れなくする。心の中も見れなくする。『ワクワク』も見れなくする。その『存在』を見れなくする。つまり『前頭葉』を自ずと刺激しないようにして、老化を促進している。

恥ずかしさは言い訳を生んでしまう。それは人の視野を狭め、脳細胞を硬くし衰退させる。刺激を否定し、知ってるつもりで世の中を眺め、現状維持という下降を始める。結局、老化を促進する、悲しみや不安を促進する、老化が病を、悲しみが病を。運んでくる。

うん、老化、進む。気をつけよう。子供を見習おう。子供の『遊び』という学習を私も見習おう。そして子供以上に貪欲に行かなければ。だって大人は、老いる一方なのだから。


心と脳の関係性をすこし考えてみるだけで、なんだか『未知』のよくわからない恐怖を拭える気がする。全部、なんだか説明できる気がしてくる。

まだふわふわとしすぎだが、今の限界はこれだな。申し訳ない。




 

・・・

しかし、私は。

『思考』『記憶』『感情』は、一番の財産ではないと考えて、『生命力』『魂』『愛』という『心』が財産だと考えているのか。へ〜、そうなのか。笑。一丁前のこというようになったもんだな。恥ずかしいけど笑っとこ。笑。

もうちょっと探ってみるかね。


そんなこんなで、今日も『前頭葉』ビ〜ンビンだあ。笑。






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