夏至を迎えるため|永遠の反抗期デストロイヤーは愛を持ってデストロイ



明日は夏至。今日で何かが一旦終わる。違う、なんか終わらせたい。明日からまた新たなサイクル。

年に数回くる、デストロイヤー期間。今。

春分の日頃から、新しい流れになった。新しい流れに乗ってぐんぐん戻ったようで進んできた。新しい日々を作ってきた。新しい日々が増えてきた。新しい日々というサイクルになってきた。でも今飽和感がある。

そいつをまた一気に壊したい。

私は試して作って、飽和してきたら、また壊したくなる。本来持ってる反抗期心がウズウズして暴れたがっている。それでも壊して、また作るものは、体や心がきっと必要だと言っているものだ。そしてまた作るものは、もっと私に吸収された形で作られていく。新しい化学反応をし、濃縮されたり、別の分裂をしたりして、私の一部となる。

私という入れ物は、常に大きくなっていかなければならない。し、その感触はある。大きくなっていないのかもしれない。余分なものが排出されているだけなのかもしれない。それはまた、走り抜けた後、はて、と気づくもの。

友人は私を破天荒だという。友人は私は柴咲コウとレディーガガの間だという。

人々は私をオシャレだという。時代の最後尾だという。明るいという。こわいという。江別にいる人間ではないという。保母さんになれるんではないかという。アーティストになれという。技術者になれという。強くて弱いという。頭がいいという。エロいという。優しいという。バカだという。アホだという。若いという。おばさんだという。

そのままじゃダメだといい、そのままでいいんだよ、と言う。

おいおい、お前さん、勝手なことを言うんじゃねえよ。


オシャレだと言われれば、ダサくしたくなり。明るいと言われれば、暗くしたくなり。こわいと言われれば、優しくしたくなり。江別にいる人間ではないと言われたら、江別にいたくなり。エロいと言われれば、思いっきり男臭くしたくなり。

破天荒だといわれれば、私の奥ゆかしさが暴れ出し。柴咲コウとレディーガガの間だと言われれば、、、なんとなく的を得ているような気がして、笑える。(身の程知らず。)

私という原型は、人に渡れば、もう私の原型ではない。

私の芯は、人に渡れば、もう私の芯ではない。

私の芯は、枝として誰かに届き、勝手に花咲き、時が来たら勝手に散る。


私は好き勝手に葉や枝を切り落とし、こっそり根をはり続け、ひたすらひたすら芯を太く強くする。

私は、また、何百回目かのゼロになろう。


今日も、自分の体と心の調子を確認する。今日も、景色は触れるものだけを。今日も、触れるものだけに愛を。

私は今日も、今日できることを、精一杯やると誓い、祈るだけ。


あとは勝手に運ばれてくるのさ。



ということで、今日はピクニックする〜ぅ。ふふふぅ〜。



Like! Click here▼▼▼

1.   2.にほんブログ村 英語ブログ 英語の日記(和英併記)へ

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

Comments

Popular Posts